戦後初の散骨と法整備の遅れ

散骨は、平安時代初期840年に崩御した第53代淳和天皇の遺詔に従い京都大原野西院で行われ、一般的に戦後は昭和の大スターが最初に行ったとインターネット上にブログを掲載されている人を目にしますが、戦後初の散骨は連合国軍最高司令部GHQにより行われています。



戦後初の散骨は、昭和天皇を無罪とした極東国際軍事裁判においてA級戦犯とされた第40代内閣総理大臣東条英機や陸軍大臣板垣征四郎、陸軍次官木村兵太郎など7人だけを横浜市の久保斎場で火葬し、ナチス・ドイツと同様に信奉者により墓地が聖地化されない様に空から東京湾に散布しています。



しかし、無宗教国家の日本においては、火葬からの散骨は大きな意味は存在しませんが、ナチス・ドイツの様に終末説を教義とするキリスト教信者には処刑後の遺体を火葬するのは2次的刑罰の意味合いがあり、日本国内でも遺体の火葬をタブーとするイスラム教徒と地元住民の間でトラブルが起きています。散骨においても、実施にあたり遺灰を散布する事に対して近隣住民の理解が得られずトラブルとなるケースもありますが、政府や司法機関による法整備が行われていない為に地方自治体独自の条例や規制で遺灰の散布が制限される地域が増え、禁止区域や禁止期間などが設けられています。
その為、制限の多い陸地よりも制限の少ない海洋で行われるケースが大半を占め、散布予定海域に至るまでの船上で様々なメモリアルセレモニーを行ったり、海外の常夏の美しい海で遺灰を散布するケースも増えています。